名詞
「で、ですが、当社は予算も限られて……」
ボクは、慌てて止めようとする。
「お前な。こう言う場合は、無料なの。正直に言えば、お前んとこが有名になった方がウチが儲かる。あと、お前……名詞は持ってるか?」
「は、はい!? 持ってます!」
ボクは、名刺を出すのが遅れたと思って、慌てて名詞を差し出す。
「なんだ、プリンタ印刷じゃねえかよ。よし、お前の名詞も、ついでにつくってやる」
成瀬さんは席を立つと、近くの席の女性社員に指示を出した。
「そうだな……デザインは、あえてモノクロでいくか」
「は、はい、社長。了解です。ちょっと待っててくださいね」
「漫画雑誌であることを、それっぽく入れて、あとは名前とメアドと電話番号を……」
「はい、はい……こんな感じですか?」
「どうやら女の社員さん、まだ新人さんみたいですね」
池田さんが言った。
「でも、いいよな。オレも名詞とか欲しいぜ」
「ん? お前も営業やるのか?」「や、やっぱ要らん!」
佐藤は直ぐに、要求を引っ込める。
「じゃあこのデータを、下の階の輪転機に回しちゃって」
女性社員の後方に回り込んだ成瀬さんが、指示をしている。
「ウチの社長さん、若い女性にはやたらと優しくてねえ。新人でも男だと、厳しく当たり散らすんだよね。おばちゃんにもさ。アハハ……」
すると、コーヒーを持って来てくれたおばちゃんが現われて、空のカップを片付けて行った。
「名刺は、帰りまでに上がるぜ。ところでよ。こっちも漫画に関するノウハウは、ほぼゼロなんだわ。そこんトコ、期待しちゃっていいか?」
やはり商売人というのは、交渉術を用意しているものだ。
「はい、ただ漫画の場合、ノウハウが概念的だったり、感覚的だったりしますから、一度情報をまとめた物をお渡しします。あと、漫画に慣れ親しんだ世代の方を、用意していただけると……」
「なる程な。これでもオレは社長だから、そんなにヒマでも無いワケだ。ちょ、ちょっと待っててくれ……」
そう言うと成瀬さんは、社内の狭い通路の中を歩き始めた。
「やっぱ、晃(あきら)ちゃんかなあ? 他のヤツは、忙しすぎて無理そうだしな」
成瀬さんが止まったデスクは、先ほどの女性社員のところだった。
「わ、わたしが晃と申します。以後、お見知りおきを」
そそくさと、ボクに名刺を差し出す晃さん。
「お前の名刺、出来たってよ。ホレ、晃ちゃんも一枚」
出来上がったボクの名刺を、勝手に一枚差し出す成瀬さん。
無料なので、文句も言えない。
「あ、どうもです、社長」
ボクの名詞を受け取って、社長にお礼を言う晃さん。
「とりあえず晃ちゃん、先方の会社の見学をさせて貰ったら?」
成瀬さんが言った。
(け、見学って……う、ウチのアパートをかッ!!?)
ボクは、全力で焦った。